今シーズンで初めて、日傘を持たずに街中へ繰り出した。
ふんわりと自分のスペースを覆っていたものが久しぶりになくなったという、その開放的な感覚に影響されたのだろうか、歩いているうちに、今日のお昼は外で食べたいような気分になってきた。
(約5か月ぶりの美容院の後で、物理的にも頭のあたりが少し軽やかになっていたかもしれない)
人混みは基本的に苦手だし、避けたいと思うけれど、中華街はべつだ。
西側の玄関口〈西安門〉をくぐると、視界が一気に鮮やかな原色系の空間に切り替わる。
両側にずらっと並ぶお店。
客を呼びこむ声。
おいしいものを求めて溢れかえる人たち。
通り一本違うと、こんな別世界になるのだ。
そのことが楽しくて、時おり、食事をするつもりがなくても、たまたま近くを歩いているとフィッと中華街の方へ踏み外してみたくなることがある。
だけどこの時は、私も食べ物を求めてやってきたうちの一人。
しばらく歩いて、「お得だよ~」と声がしてきたお店でトンポーロー(豚の角煮まん)を買うことにした。
「お姉さん~熱いよ気を付けて~」
と、店の人が、底の部分だけ包み紙を二重にしたトンポーローを渡してくれる。
湯気の立つトンポーローを手ににぎやかな通りを歩いていると、中華街という空間にこの身ごと自然と溶け込んでいくような心地よさをおぼえた。
人通りの激しいところから少し逃れた、程よい空間を見つけて身を寄せると、カプリ、と手始めに齧りやすそうな豚肉の端っこから齧り付く。
白いまんじゅう生地と、豚の角煮と、甘いタレ。
全部一緒にバランスよく頬張るのが一番おいしいのだろうけど、この食べ物はそれが難しい形にできている。
一口ごとに「少しタレのついたまんじゅう生地」だったり「タレのほとんどかかってない豚の角煮」だったり、ちぐはぐしていて、それを必死に食べている自分がなんだかおもしろかった。
周りの空気に馴染みながらも、自分一人きりの世界がここにある。
喧騒の中で、繋がりと隔たりを同時に感じていた。
食べ終えて、その場を再び「なんでもない路地」に明け渡すと、またすぐに別の誰かがすれ近いざま、湯気の立つ食べ物を手に本通りからやってきて、そこで食べ始める。
沢山の人でごった返しているのに、不思議と誰にもぶつからない、中華街をその後もしばらくゆらゆら揺蕩うように歩いた。
両側に連なるお店から立ち上る、湯気の先をたどって仰ぐと、覆いの取り払われた空はスカーンと開けている。
――お腹も満たされたことだしな。
誰にも気付かれないまま、スッとわき道から中華街を抜けるとき、透明なクラゲの傘が舞い上がるような浮遊感を一瞬、体中に感じた。
最後まで読んでくださってありがとうございました。