タコを噛む。

トレーに乗った茹でタコ

父が病気で入院していた頃、毎晩のように茹でタコの刺身を食べていた。

タコは軟体動物だとはいっても、柔らかいのは動きであって身ではない。

ウニュウニュっとしたあの柔軟な動きには、強靭な筋肉が必要不可欠であって、食べる側の私は、一口ごとに、噛み切るんだという意志を求められた。

”明日のために疲労回復効果のあるタウリンを摂取しなくてはいけない”

――というのは自分自身への建て前で、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返される規則正しい日々がいつまでも続くことを祈って、午後3時頃、病院帰りに立ち寄る行きつけのスーパーで、茹でタコの刺身を手に取り続けた。

タコを噛む、父を見舞う、タコを買う、タコを噛む……そんな日々。

父が亡くなり、四十九日を終え、バタバタと引越しをして、ようやく生活が落ち着いてきた頃、新たな土地のスーパーで皮のふやけたシュークリームを買った。

クタクタにくたびれているときに食べるものは、匂いも味もよくわからない。

それだけに、口の中に感じていた柔らかさの感覚が、とても印象的だった。

安全なものだ。きっと私はこれを消化できるはずだと信じてしまうことにして、手がかりは欠けたまま、無防備なくらいモニュモニュと食べ進めた。

多分もう、タコを噛み切らなくてもいい。

タウリンを摂取しなくちゃって、思わなくてもいい。

そんなのは綿菓子を口いっぱいに頬張ろうとするようなもので、詮無いこと、詮無いことだ……

犬歯のいらない食べ物に、試すように小さく歯を立てた。

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