ぶどうの皮を剥くたびにハッとさせられる。
濃紫の皮の中から顔を覗かせた果実はうっすら緑がかって透き通り、雨が降っていた今朝のうす暗い室内で小さな光の溜り場のようになった。
もうこれまでの人生で何度もぶどうの皮をむいては食べてきたはずなのに、 いざ食べる段になって目の前に現れる可食部の姿に、毎回新鮮な気持ちにならずにはいられない。
自分の普段もっている、ぶどうのイメージカラーは紫だ。
きっと初めに店頭で手に取るとき目に入るのも、食べ終わった後に指先に残るのも紫色だから、それが普段頭の中に印象として残っているぶどうの色なのだろう。
ぶどうって何色?って聞かれたら、紫って反射的に答える。
でも、実際に口に運ぶ部分はそうではないのだ。
例えばりんごをとっても、皮の色と中身の色はまるで違うのだけれど、こちらの場合は包丁で切り分けてから、皿に盛って、実際口に運ぶまで比較的時間のあることが多い。なんならすでに皮を剥いて切り分けた状態でパックされてお店に並んでいることもある。
対してぶどうは基本的に、食べる直前に自分で剥きながら食べるから、中身の姿を目にするのは、剥き終わってから口に運ぶまでのほんのわずかな間だけということになる。
だからあんなに特別な気持ちになるのだろう。
今は皮ごと食べられるぶどうもたくさん出回っていて、それに慣れるとわざわざ皮を剥いて指を汚すことを面倒に感じたりもするのだけれど、ちまちまと一粒ずつ剥いて食べるからこそのおいしさ、というのも確かにあるように感じる。
ぶどうの皮をむくたびに生じる気持ちが、いつまでも瑞々しくあることが私はうれしい。